last updated 1997/06/02
第18話(全130話)
マリカ姫(1/4)
2 マリカ姫
ピートが走り込んで行った森は、この地では〈エルモの森〉と呼ばれていた。そのエルモの
森を領土の西に持つカイラ国の城は、太古の火山活動によって地底から隆起した花崗岩の断層
をそのまま城として流用した作りになっていた。全長四百メートルに及ぶ岩山の内部に何本も
のトンネルを掘り、大広間を作り、王の間を作り、そして大臣や騎士や侍従たちや、その他一
般国民に至る二千人の人間がじゅうぶんに暮らせるだけの個室や作業場や住居が花崗岩を見事
に切り取り、組み上げられ、そして掘り進められた回廊の中に作られていた。そこはいまや、
ただの隆起した花崗岩の断層ではなく、芸術とも呼べそうな精密な細工と様式が織りなす岩の
タペストリーと化していた。立派な城だ。全体が大きなUの字を描いた馬蹄形の岩石城は、素
材から受ける冷たくよそよそしい印象をまるで感じさせない温かみと活気とを周囲に放ってい
る。たとえばピラミッドのように正確に切り取られた立方体の岩を幾何学的な計算の中で組み
上げられた物見塔がそびえているのがちょうど断層の中心で、そこには王の謁見バルコニーが
ある。馬蹄形の左が北翼棟、右が南翼棟と呼ばれ、両者は完全なシンメトリーを描いて建って
いる。戦いに備えて万全の守りを誇るのが、城というものの常識であるとするなら、このカイ
ラ城は城としては非常識この上ない造りだった。外敵の侵入を遮るための高い城壁も深い掘り
もなく、何万という数で外に向かって開いている窓や明かり取りにも鎧戸ひとつ付けられてい
ない。だからピートの暮らしていた世界だったなら、ここは城ではなく、宮殿と呼ばれていた
かもしれない。戦いになど無縁の貴族が暮らす呑気宮殿と、そう呼ばれるのがいちばんふさわ
しいような、そんな建物だ。
そんな平和といえば平和、長閑かといえば、いかにも長閑かに、風景へと向けて両手を差し
伸ばしているかのような城のどこからか、剣と剣の激しくぶつかり合う音が聞こえてきている
。その音に興味を持って近づけば、その剣の響きが城の北翼棟の一角から聞こえてくるのがわ
かるだろう。そこには武術練習場があった。
長閑かな呑気宮殿にも、城というからには、やはりこのような施設ぐらいちゃんとあるらし
い。その施設の中で、いまふたりの騎士が剣と剣をぶつけ合っていた。一方が激しく攻めたて
、もう一方は応戦で精一杯といった様子だ。
攻めたてているの方は紅の輝きを放つ鎧に身を固めていた。小柄で、どこか華奢に見えはす
るが、それでも剣の振りは力強く、隙がない。足を素早く移動させ、敵の反撃を躱しながら、
常に利き腕を有利に振り降ろせる位置へと回り込むその動きは、ひと目でかなりの剣の使い手
であることを伺わせる。応戦する方はといえば、こちらもその素早い動きを正確に予測し、見
事に躱し続けている。押されっぱなし、というふうに見えるが、その実こちらもかなりの使い
手であることが、まったく乱れていない呼吸の規則正しさでわかった。
ふたりの戦いはお互いの剣がぶつかり合うガシンという音を響かせるだけで、どちらからも
声らしきものはいっさい発せられないまま黙々と続けられていた。陽が暮れるまで、こうして
剣と剣を交えていたいといった気配が紅の鎧を着たほうから伝わってきている。その気配を察
して、いささかうんざりしたのか、もう一方が不意に腕の力を抜き、剣を床に落とした。斬り
込んで行こうと振り降ろしはじめていた剣を、紅色は慌てて横へ流して一歩下がる。もし未熟
な者だったら、咄嗟の事態に対処できずに、剣を持たない相手の手首を腕から切り放してしま
っていただろう。しかし紅色はそんな未熟者ではなかったし、それを承知しているからこそ、
相方もいきなり剣を捨てる、なんて真似が出来たのだ。
「どうした。何故やめる。剣を拾え」
「もうじゅうぶんでしょう」
「じゅうぶんかどうかは私が決める。お前は私がいいと言うまで剣を構え続けなければならん
」「無意味です。これ以上は何の成果も得られませんぞ、姫」
言いながら剣を捨てた男は兜を取った。兜の下から現れたのは細面の、眼光鋭い老人だった
。名はナッツと言った。
ナッツの自分を睨みつけてくる容赦のない目を見て、姫と呼ばれた紅色もまた兜を縫いだ。
鎧の下から鎧の色と同じ紅色の長い髪がふわりとひろがり、その鮮やかな色に縁取られた顔に
はまだ幼さが残っていた。目には闘志と強い意思の光を宿してはいるが、頬の辺りの柔らかな
膨らみとあどけなさの残る口元が、この娘がまだ成人年齢に達していないことを告げている。
名はマリカ、このカイラ国の唯一の世継ぎであり、年は今年で8才(地球年齢一五才)だっ
た。
「無意味とはどういうことですか、ナッツ」
「言葉通りの意味です」
「わからぬ」
「私が姫に剣と武術をお教えするようになって、はて何年になりますかな?」
「ふたつの時からだ(地球年齢三才)」
「そう、まだ姫が男の子と間違われるほどヤンチャな盛りの頃でしたな。その時からずっと私
は姫に言い続けてきたはずですぞ。・・剣をがむしゃらに振り回していては、何も生み出すこ
とは出来ないのだ、と。お忘れですか?」
「忘れてはいない」
マリカはナッツの眼差しの強さに圧倒されたのか、全身から力が抜け、その場にぺたんと座
り込む。その様子があまりに弱々しいと感じたのか、彼女はすぐに胡座を組んで、ナッツを強
い眼差しで見上げた。そういう姫としてはあまり褒められた恰好ではない所作を、女侍従たち
とが見たら金切り声を挙げてやめさせたろうが、ナッツは気にするふうもなく、自分も姫と向
き合うように腰を降ろす。
(つづく)
Back Number
presented by son@ch-teo.com
Copyright(C)1997 FUJITSU LIMITED.
All Right Reserved.